私のヒストリー「南米(ペルー)子弟の受け入れの思い出」

 人生はたった一度と言われますが、その人の歩んだ人生は唯一のもの。
その貴重な体験を「私のヒストリー」(ライフヒストリー)と題してご紹介します。


「南米(ペルー)子弟の受け入れの思い出」
デイサービス利用者_上地さん

・上の写真、受け入れを頑張っていた頃の上地京子さん ・左下写真、研修中に村の成人式に参加。左下から、みなみ(孫)、上地安廣(夫)、ダニヤ、照屋林三村長 ・右下写真、花いっぱいの我が家の庭で、ダニヤに娘の晴れ着を着せて。

・上の写真、受け入れを頑張っていた頃の上地京子さん
・左下写真、研修中に村の成人式に参加。左下から、みなみ(孫)、上地安廣(夫)、ダニヤ、照屋林三村長
・右下写真、花いっぱいの我が家の庭で、ダニヤに娘の晴れ着を着せて。

 主人の父親(上地安牛)が昭和十年にペルーに移民として移り住みました。その後子供たちを呼び寄せて父親は七年間働き帰国しました。子供たちは残り結婚し家庭を持ちました。父親が帰ってきて生まれたのが主人(安広)です。

 私たちが結婚するとペルーから親戚が観光や研修で主人を頼って沖縄に来るようになりました。まだ電気やガスがきていない頃です。

トイレの使い方やお風呂の入り方も違っていてびっくりしました。ペルーは豊かで洗濯機もあったようですが、こちらは無いので子供たちは洗濯の仕方がわからず、私が手洗いしていました。

 朝、台所に立ち「今日は何を食べさそうか?」とチムドンドン(心臓がどきどき)しました。朝食はパンを食べるというのでトースターが我家にはなかったので友達に借りてきたりしました。ソーメン汁はおいしいと言っておかわりして食べてくれました。

帰国する時のお土産は七月(お盆)正月にお供えに頂いた食品を持たせました。日本食はあちらでは貴重だったからです。こちらはまだあまり豊かではない時代でしたが、精いっぱいもてなしをしました。

 今年も世界ウチナーンチュ大会に来るとのことで楽しみに待っています。

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