わたしのヒストリー「思い出深い駐在勤務」
人生はたった一度と言われますが、その人の歩んだ人生は唯一のもの。その貴重な体験を「私のヒストリー」(ライフヒストリー)と題してご紹介します。
わたしのヒストリー「思い出深い駐在勤務」
宮城松子(塩屋区在住・九十二歳)
夫(宮城萬元)は駐在(警察官)でした。頑固物ですが子供には甘く何でも欲しいと言うものは買ってあげていました。
結婚してから7カ所の駐在を家族で廻りました。一番暮らしやすかったのは宜名真(国頭村)でした。
隣に看護婦をしている独身の女性が住んで居ました。那覇への出張で帰りが遅くなる時は彼女が「おばさん夕飯お願いね。」と言って、夕飯は我が家で一緒に食べたりしました。頼られて嬉しかったです。
あるとき港に密輸船が入って来て船員を駐在所で確保しました。
当時の駐在所は電話が無く、夫は名護署に連絡する為に近くの酒屋まで電話を借りに行きました。
夫の言いつけで私、船員を逃がさないように、入り口に立ち、怒らせないように機嫌を取りながら内心はこわごわ、夫が帰って来るのを待っていたという思い出があります。
また地域の方が住民と分け隔てなく私たち家族を扱ってくれて田植えや草刈りを一緒にしたことは楽しい思い出です。
平成二十六年に夫が亡くなってから総理大臣から夫が表彰されました。私は断りましたが娘達が「お母さんの為に表彰して下さったんだよ」と言うので、沖縄署にて表彰を受けました。