わたしのヒストリー デイサービス利用者 山城 秀子さん(85歳)

人生はたった一度と言われますが、その人の歩んだ人生は唯一のもの。その貴重な体験を「私のヒストリー」(ライフヒストリー)と題してご紹介します。

夫とともに海人『サービス利用者 山城 秀子さん(85歳)』

 二十歳で親が決めた近所の人と結婚しました。  夫婦で海人(漁師)畑人(農業)で生計を立てました。

おしどり夫婦でした。

 夫は夕方、網を張りに沖に出て翌日、朝早く、しかけた網を取りに一緒に沖に出ていました。 セリに出すために金武方面から仲買人が買いに来て、夫が船付けて網から魚を外すのを待っていました。  舟はサバニだったけどあとからはモーターを付けました。古宇利島や屋我地方面に行きました。海が静かな時は私が魚を捕りに行って夫はたこ取りに行くこともありました。  夫が漁から帰る時は待っていないと「疲れてきているのに迎えにも来ない!」と怒るので何度も海を見ながらひやひやしていました。一緒に網から魚を外しました。
タコ獲り名人と呼ばれた夫。覚正さん

タコ獲り名人と呼ばれた夫。覚正さん

 上等な魚はセリに持っていき、たくさん取れたときには売りに行ったり芋と交換したりもしました。シマでは高い魚は売れないので、刺身したりして売りました。ヤナ―は家で煮つけたり油で揚げたりしました。塩漬けにして保存もしました。家族が多かったからよく食べました。  親父が酒も飲まなかったから生活はゆっくりでした。 子供を学校通学させるために車の免許を取りました。それで名護のセリに自分で行く事もできるようになりました。  車の免許取ったのは塩屋の女で一番じゃなかったかなと思います。お蔭で子供たちは皆、元気に成長してくれてうれしいです。

山城 秀子さん 誕生日会


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