わたしのヒストリー 金城マサさん九二歳(GHつつじ苑入居者)

人生はたった一度と言われますが、その人の歩んだ人生は唯一のもの。その貴重な体験を「私のヒストリー」(ライフヒストリー)と題してご紹介します。

「女性議員と家業の両立」

わたしのヒストリー

夫・金城珍信さんと必勝祈願

 子ども達が小さいころ本土に何かの研究発表に行くため、大きな紙に研究内容を自分で書いて壁に貼り、家族の前で発表の予行練習をしました。婦人会や農協婦人部等様々な活動をし、それが認められ、村婦人部会と平良区からの後押しもあり昭和五十三年に村会議員に立候補し当選しました。当時、他の市町村でも女性議員は珍しかったです

私のヒストリー

選挙演説するマサさん

 家業はお茶栽培をしていたので、摘み取りの時期で人出が欲しい時に議員活動をしていましたので夫婦ケンカが絶えなかったです。夫が病に倒れ、浦添の病院に入院して、夫に代わり昼は畑や議員活動し夕方から病院で付き添いをし、また、朝帰って来て仕事をするという生活を平成二年に亡くなるまで続けました。

 議員は平成六年まで四期(通算十六年)務めました。村功労賞や旭日単光章綬章という大きな賞をいただき沖縄県庁で副知事から授与されました。

 子供たちや夫や家族に支えられた議員時代でした。

お茶畑

 その後は息子とお茶栽培と製造、販売を続け、つつじ祭りでは姉と二人で、売り子をかって出て、東産のお茶を宣伝し皆さんにかわいがられました。


前のページへ戻る

 

 

当サイトはSSL暗号化通信により安全に保護されています。

QRコード