わたしのヒストリー(謝名城出身) 金城ヒデ(87歳)やんばるの家入所者
人生はたった一度と言われますが、その人の歩んだ人生は唯一のもの。その貴重な体験を「私のヒストリー」(ライフヒストリー)と題してご紹介します。
辺土名高校を卒業して知人を頼って那覇で就職しました。市内のガーブ川の水上店舗の二階で船場貿易商会という小さい個人商店の事務員でした。
寝具類(マットレスなど)を日本本土から仕入れて各商店から注文を取り配達していました。
車の免許は取りましたが国際通りは怖いので運転はしませんでした。ガーブ川沿いにはたくさんのお店があり給料をもらったらよく、友達と食事に行きました。
オリオン通りに久松食堂という有名な店があり、おいしかったです。休みの日には『山形屋』『大越』などのデパートに買い物に行きました。
『大越』の側の映画館には大好きな映画を見に行きました。平和通りには『なみさと』という雑貨販売店や、やんばるのかたが居る軍払い下げの店も有りました。
実家の長男は亡くなって、妹は嫁いでいたので、家を継いで母親を看ることになり大宜味に引き揚げてきました。
最期まで家で母を看取り、親孝行できたと思います。結婚はしませんでしたが楽しかったので悔いはないです。
ヒデおばさんに感謝!(姪 和美より)
おばさんは当時としては珍しいキャリアウーマン。飛んる女性に見えました。友人たちからは頭が良く、投てきで活躍するなどスポーツマンでゴルフやボーリングも挑戦したと聞きました。
色々な所へ遊びに連れて行ってくれたり、ごちそうをしてくれました。おばさんがいたから自分たちは成長できたと思います。生年祝には親戚一同で功労賞を贈りました。